過敏性腸症候群(IBS)は、腹痛や膨満、下痢や便秘といった症状が長く続く疾患です。内視鏡や血液検査で明らかな炎症や潰瘍が見つからないため、患者は「原因が分からないのに苦しい」という二重の負担を強いられることになります。
こうしたとき、生活のどこから手をつければよいのか。
多くの人がまず思い浮かべるのは食事です。何を食べ、何を控えるか。中でも小麦は、パンや麺類といった日常食の中心にあるだけに、体調との関係が気になりやすい食品として挙げられます。
「小麦をやめたら調子が良い気がする」
「IgG抗体検査で原因の食べ物を調べられるらしい」
そのような情報が目に入ると、つい飛びつきたくなるのは自然な反応です。
しかし、ここで立ち止まって、いくつか確かめておきたいことがあります。
今回は、IgG抗体検査が何を意味するのか、IBSと小麦の関係はどの程度わかっているのか、そして最新研究やガイドラインがどこまでを支持し、どこから先は慎重であるべきと述べているのかを、順を追って整理します。
そのうえで、メディアやSNSが作り出す「小麦=悪者」という物語にどう距離を取るか、現実的に試せるアプローチは何かを、穏やかに考えてみたいと思います。
本記事の執筆者は医師ではなく鍼灸師です。鍼灸師に医療の治療方針を指定する権限はなく、それは本記事の内容においても同様です。本記事は、患者による情報の主体的な吟味を促すことと、極端な思想に傾かないための手がかりを提供することとを目的としています。
IgG抗体検査──「遅延型アレルギー」説の誤解
IgG抗体検査は「遅延型アレルギー検査」と呼ばれることがありますが、実際にはアレルギー診断のための検査ではありません。
アレルギー診療で用いられるのはIgE抗体の検査です。これは、蕎麦を食べてすぐに蕁麻疹が出る、スギ花粉を吸ってくしゃみが止まらないなどの「即時型アレルギー」を調べる指標で、その値は症状と直結します。
一方、IgG抗体は性質が全く異なります。
IgGは「その食べ物を摂ったことがある」という免疫の記録であり、誰にでも自然に作られます。パンを日常的に食べる人なら小麦に対するIgGを持っていますが、それは「小麦が体に悪い」という証拠ではなく、むしろ「体が慣れている」可能性を示す場合もあります。このため、日本アレルギー学会をはじめ、欧州・米国・カナダの学会はいずれも「IgG抗体検査はアレルギー診断に使うべきではない」と警告しています。
しかしながら、それでもなお、自由診療で「遅延型アレルギー検査」が行われたり、自宅検査キットが販売されたりしています。IBSのように原因が見えにくい病気において、「原因が分かるかもしれない検査」は患者に大きな期待を抱かせます。(その可否についてはここでは触れません)
IBSと小麦──単純に片づけられない複雑さ
IBS患者の中には、小麦を食べると調子が悪いと感じる方が一定数存在します。それは紛れもない事実です。とはいえ、小麦を食べると調子の悪い患者の、全患者に対する割合については明確な統計はありません。全員に「小麦の害」が当てはまるわけではないかもしれないのです。
小麦が注目される理由を理解するには、まず「セリアック病」という病気を知っておく必要があります。セリアック病は自己免疫疾患の一つで、小麦に含まれるグルテンというタンパク質を食べると免疫が腸の粘膜を攻撃してしまう病気です。慢性的な下痢や体重減少、栄養不良を引き起こし、血液検査や腸の生検で診断されます。欧米では比較的多い病気ですが、日本では稀だと言われています。
このセリアック病の存在が、「グルテンは有害」というイメージを強めているのですが、グルテンによって症状が引き起こされるのはセリアック病に特有の反応であり、IBSや一般の人にそのまま当てはまるわけではありません。
さらに小麦には、グルテン以外にも注目すべき成分が2つあります。
ひとつは小麦に含まれる糖質の一種であるフルクタン古く端です。フルクタンはFODMAP(発酵性糖質:腸内細菌によって分解されるとガスが出やすい糖質)の代表的な成分で、膨満感や腹痛を悪化させることがあります。そしてもうひとつは、炎症を引き起こす可能性が指摘されるATI(アミラーゼ・トリプシン阻害因子)です。
このように、小麦に含まれる成分が複数あるため、「小麦で不調が出る」と感じても、それがグルテンなのか、フルクタンなのか、あるいは食べ方や心理的要因なのかは人によって異なります。
小麦を一律に「悪者」とするのは、問題を単純化しすぎていると言えます。
IBSと小麦除去──最新研究から見えること
ここでは、IBSと小麦の関わりについての重要研究を、以下の4点に焦点を当てて見ていきます。
- IgG検査に基づいた除去食は本当に効くのか
- 小麦に敏感な人が一部に存在する可能性
- 最新の厳密な試験で小麦除去はどう評価されたか
- 長期的に小麦をやめることで生じる栄養上のリスク
IgG検査に基づく除去食──限定的な効果
2004年、Atkinsonは「IgG抗体検査で高値の食品を避けると、IBSの症状は本当に良くなるのか」を検証しました。対象はIBS患者150人。全員にIgG検査を行い、その結果に基づいて無作為に真の除去食群(IgG値が高かった食品を実際に避ける)と偽の除去食群(無関係な食品を同数、患者本人には区別がつかないように避ける)の2群に分け、12週間の経過を比較しました。
結果は、真の除去食群で症状スコア(IBS-SSS)が平均でやや低下というものでした。
とはいえ、その差はごく小さく、全員に当てはまったわけでもなかったのです。また、「指示を忠実に守った人」では差が広がる傾向も見られましたが、これは思い込み(プラセボ/ノセボ)や自己管理の影響も考えられます。さらに、食事の中身(糖質の種類や量)まで統一されていないため、フルクタンなどFODMAPが偶然減ったことの寄与を排除できません。
一部の人に“当たる”可能性はあるものの、IgGが原因食を示す決め手とは言えず、診断や標準治療の根拠として一般化するのは難しいと考えるのが妥当です。
「小麦に敏感な人はいる」──Uhde (2016) における発見
2016年の研究は、セリアック病でも典型的アレルギーでもないのに小麦摂取で体調を崩す状態(非セリアック小麦感受性:NCWS)に生物学的な裏づけがあるかを、次のような指標で調査したものでした。
- FABP2
腸の上皮細胞が傷つくと血液に出るタンパク質で、腸のバリアが傷んでいるサインとされる - sCD14/LBP
腸内細菌由来成分に対する免疫反応が高まると増える指標で、全身で免疫が刺激されているサインとされる
結果として、NCWS群ではこれらの数値が高く、小麦・ライ麦・大麦の除去で低下し、症状も改善しました。つまり、「小麦に敏感な一部の人がいる」可能性は確かにあることが示唆されました。
ただし、ここで使われたのはIgG検査ではありません。測ったのは腸傷害・免疫活性化のマーカーです。ゆえに、「IgGでNCWSを診断できる」ことを示した研究ではない点に注意が必要です。
最新RCT──Seiler (2025) で示された小麦除去の限界
2025年に発表されたSeilerらの研究は、IBSと小麦の関係を調べた中で最も厳密な試験といえます。対象は「グルテンフリー食で症状が改善した」と自覚するIBS患者たち。もし小麦やグルテンが本当に症状を悪化させる犯人なら、この人たちでこそ差がはっきり出るはずです。
研究では患者に、「小麦入りバー」「グルテンのみのバー」「偽のバー」を摂取させたのですが、信頼性を高めるための工夫が徹底されていました。
- クロスオーバー法
同じ人が「小麦入りバー」「グルテンのみのバー」「偽のバー」を順番を変えてすべて体験しました。人による体質や感じ方の違いを打ち消し、より確かな比較が可能になります。この研究では、各バーを2週間の休みを挟んで1週間ずつ摂取しました。 - シャム対照
「偽のバー」は見た目や味は本物と同じですが、有効成分(小麦やグルテン)が含まれていません。これを比較対象にすることで、「成分そのもの」の影響を正しく見極められるようにしました。 - 二重盲検
患者も研究者も、どのバーを食べているか分からない状態で進められました。これにより「食べたと思い込むことによる症状の変化(プラセボ効果/ノセボ効果)」を極力排除できます。
こうした三つの工夫を同時に取り入れた設計は、食事と症状の研究では非常に珍しく、それだけ信頼性の高い結果が得られる試験だったといえます。
結果はどうだったでしょうか。
小麦やグルテンを食べたときに症状が悪化した人の割合は、それぞれ39%と36%。一方で、偽バーのときにも29%が「悪化した」と答えました。つまり、3つの条件のあいだに統計的に有意な差は確認されなかったのです。
さらに、研究では参加者の便を調べ、グルテンのかけら(グルテン免疫原性ペプチド)が本当に出ているかどうかまで確認しました。その結果、実際には一部の人はバーを完食していなかったり、別の食事からグルテンを摂っていたりして、完全に遵守できていたのは全体の3割程度にすぎませんでした。食事研究の難しさを示す重要な結果です。
興味深いのは、研究結果を踏まえて「あなたの場合は小麦もグルテンも症状を悪化させなかった」と説明されても、多くの患者は「やはり自分には小麦が悪い」と信じ続け、グルテンフリーを継続したことです。科学的な結果よりも、自分の体験や思い込みが優先されやすい現実が浮き彫りになりました。
この試験が伝えているのは、「小麦やグルテンがIBSを悪化させる人がまったくいない」ということではありません。しかし、多くの患者では思い込み(ノセボ効果)が強く作用し、全体としては小麦除去の効果は限定的だったという事実です。そして「小麦=悪者」という半ば信仰めいた考えを緩め、必要に応じて心理的サポートも取り入れながら現実的に対応していくことの重要性を示しています。
「やめること」にも副作用──Russell (2025) の警告
2025年の系統的レビュー/メタ解析は、グルテンフリー食(GFD)を続ける人の栄養状態を評価しました。総括すると、ビタミンD、ビタミンB12、鉄、葉酸などが不足しやすい傾向が示されました。
セリアック病では、粘膜の傷みが治って吸収が回復するにつれ改善する栄養素もありますが、IBSや健康な人が長期に小麦を避け続ける場合、貧血関連(鉄・B12・葉酸)や骨の健康(ビタミンD)の面で不利になりやすいのが実情です。「やめる治療」にも副作用があることが、この研究によって定量的に確かめられました。
4つの研究が伝えること
- IgG除去(Atkinson, 2004):
効果は平均でわずか。機序は不確かで再現性も限定的である。 - NCWSの生物学的裏づけ(Uhde, 2016):
一部に“本当に小麦に敏感な人”がいそうだが、IgGで見分けられるとは言っていない。 - 最新厳密試験(Seiler, 2025):
症状悪化に関して、小麦・グルテン・偽食に有意差なし。一般化した小麦悪者論に歯止めをかける。 - 栄養面の代償(Russell, 2025):
長期除去は微量栄養素不足のリスクがある。
総合すると、「小麦除去が役立つ人もいるが、全員に効くわけではないし、長期的にはリスクもある」という、シンプルな結論に至ります。安易に「小麦をやめればすべて解決」と考えるのは危険であると言えます。
ガイドラインが推奨する食事療法
臨床の羅針盤であるガイドラインは、個々の研究の凹凸を平均化し、優先順位の目安を示します。日本のIBS診療ガイドライン(2020)と米国消化器病学会(2021)は、食事療法として低FODMAP食を条件付きで推奨しています。低FODMAPは導入・再導入という段階的枠組みを持ち、小麦に含まれるフルクタンも視野に入れつつ、全体の食事構成の中で無理なく検証できるのが利点です。
対照的に、IgG検査に基づく除去や「小麦除去そのもの」を標準的に推奨するガイドラインはありません。IgGの臨床的意味がアレルギー診断と異なること、群としての優位性が明瞭でないこと、そして除去の栄養リスクが無視できないことを総合的に勘案した結果と受け止めるべきでしょう。
メディアとSNSが広める「小麦害悪説」
ここ数年、「小麦を食べると体に悪い」「グルテンをやめれば健康になれる」といったメッセージが、書籍・テレビ・インターネットを通じて大きく広がってきました。ベストセラーの健康本やSNSの体験談は説得力があり、短い動画や記事が拡散されるたびに「小麦=体に悪い」という印象が強化されます。
ただ、多くの情報は前提条件や対象を省かれています。セリアック病や一部の非セリアック小麦感受性の知見が、あたかも誰にでも当てはまるかのように伝えられがちです。さらに、グルテンフリー食品の市場拡大という商売上の背景もあり、「小麦を避ける」というメッセージは商品として売れやすいため広まりやすい面があります。科学的な裏づけだけでなく、売れやすさが拡散を後押ししていることも忘れてはなりません。
IBSのように複雑な病気では、単純で強い言葉ほど魅力的に映ります。インフルエンサーが「小麦を止めたら治った!」と発信すれば、飛びつきたくなるのも頷けます。しかし同時に、その陰には「一部の人には有効でも、全員には当てはまらない」「長期的には栄養リスクを伴う」という現実が隠れているのです。
現実的な向き合い方
では、IBS患者はどのように振舞えばよいのでしょうか。重要なのは「小麦を一律に悪者扱いしない」ことです。小麦を控える試み自体は否定されませんが、以下のような段階を踏むことが安全です。
- 短期間だけ試す:
2〜6週間など期間を決めて小麦を控える。 - 効果があいまいなら続けない:
はっきり改善がなければ長期の除去は避ける。 - 改善があった場合も再導入する:
少しずつ小麦を戻し、どの程度の量で症状が出るかを確認する。※医学的にはこれを「閾値(しきいち・いきち)」と呼びます。つまり「自分にとって症状が出ない範囲」を探す作業です。
また、除去中は栄養不足に注意し、米やオーツ麦、雑穀などを主食に取り入れたり、鉄やビタミンを含む食材を意識して摂取する工夫が必要です。さらに、IBSの症状はストレスや睡眠、自律神経の乱れとも深く関係しています。食事だけでなく生活全体を整えることが、症状を安定させるために大切です。
おわりに
IgG検査や小麦除去は、IBSの「万能な解決策」ではありません。最新の研究は、効果が一部の人にとどまること、診断にIgGを使えないこと、全体として小麦除去が有効とは言えないこと、そして長期除去には栄養不足という副作用があることを示しています。
重要なのは「小麦を控えてはいけない」ではなく、「小麦を悪者扱いしすぎない」ことです。メディアの単純なメッセージに流されず、科学的根拠と自分の体の反応を照らし合わせながら、段階的に安全に取り入れる姿勢が大切です。
【参考文献】
日本アレルギー学会. 血中食物抗原特異的IgG抗体検査に関する注意喚起. 2015 Feb 25. https://www.jsaweb.jp/modules/important/index.php?content_id=51, (参照2025/9/5)
Stapel SO, Asero R, Ballmer-Weber BK, Knol EF, Strobel S, Vieths S, Kleine-Tebbe J; EAACI Task Force. Testing for IgG4 against foods is not recommended as a diagnostic tool: EAACI Task Force Report. Allergy. 2008 Jul;63(7):793-6.
Bock SA. AAAAI support of the EAACI Position Paper on IgG4. J Allergy Clin Immunol. 2010 Jun;125(6):1410.
Carr S, Chan E, Lavine E, Moote W. CSACI Position statement on the testing of food-specific IgG. Allergy Asthma Clin Immunol. 2012 Jul 26;8(1):12.
Atkinson W, Sheldon TA, Shaath N, Whorwell PJ. Food elimination based on IgG antibodies in irritable bowel syndrome: a randomised controlled trial. Gut. 2004 Oct;53(10):1459-64.
Uhde M, Ajamian M, Caio G, De Giorgio R, Indart A, Green PH, Verna EC, Volta U, Alaedini A. Intestinal cell damage and systemic immune activation in individuals reporting sensitivity to wheat in the absence of coeliac disease. Gut. 2016 Dec;65(12):1930-1937.
Seiler CL, Rueda GH, Miranda PM, Nardelli A, Borojevic R, Hann A, Rahmani S, De Souza R, Caminero A, Curella V, Neerukonda M, Vanner S, Schuppan D, Moayyedi P, Collins SM, Verdu EF, Pinto-Sanchez MI, Bercik P. Effect of gluten and wheat on symptoms and behaviours in adults with irritable bowel syndrome: a single-centre, randomised, double-blind, sham-controlled crossover trial. Lancet Gastroenterol Hepatol. 2025 Sep;10(9):794-805.
Russell LA, Alliston P, Armstrong D, Verdu EF, Moayyedi P, Pinto-Sanchez MI. Micronutrient Deficiencies Associated with a Gluten-Free Diet in Patients with Celiac Disease and Non-Celiac Gluten or Wheat Sensitivity: A Systematic Review and Meta-Analysis. J Clin Med. 2025 Jul 8;14(14):4848.
日本消化器病学会. 機能性消化管疾患診療ガイドライン2020―過敏性腸症候群(IBS) (改訂第2版). 南江堂, 2020.
Lacy BE, Pimentel M, Brenner DM, Chey WD, Keefer LA, Long MD, Moshiree B. ACG Clinical Guideline: Management of Irritable Bowel Syndrome. Am J Gastroenterol. 2021 Jan 1;116(1):17-44.

予約
059-256-5110
営業電話は固くお断りします
月~金 9時ー21時
土 9時ー15時
日曜休業・祝祭日不定休
ウェブ予約
予約ページは新しいタブで開きます
免責事項にご同意のうえ、ご予約ください
同業者(療術業)の予約はお受けできかねます
免責事項
鍼による施術は痛みや出血を伴う場合があります。また、以下のような場合、施術による変化が現れにくかったり、症状の“もどり”が早かったり、施術期間が⻑期に及んだり、施術することをお断りしたりすることがあります。鍼にはネガティブな側⾯があり、万能でもないことをご承知おきください。
構造上の問題による痛み
重篤な疾患による痛み
強⼒なあるいは多種の薬剤服⽤
⾼齢・衰弱による⽣理機能の低下
取り除けない物理的刺激要因
各種⼼理的要因
アクセス
〒514-1105 三重県津市久居北口町15-7
近鉄久居駅より徒歩15分/伊勢自動車道久居ICより車で5分
駐車スペース常時2台分あり
※看板がありませんのでご注意ください

