お灸にはさまざまな種類があります。基本的にはヨモギを原料とした「もぐさ」を燃焼させるもので、小さく捻ったり指先ほどの大きさにまとめたりして皮膚の上に置いたり、台座灸や円筒灸、棒灸といった製品としたり、木や陶器でできた専用の器具を用いたり、あるいは鍼の頭に載せたりします。
しかし、じねん堂は、これらもぐさを燃焼させる種類のお灸をなるべく使わない方針です。主に電気を使ったお灸を行っています。それにはふたつの理由があります。
- お灸のにおいがものすごく苦手だから
完全に施術者都合ですが、私はお灸のにおいがものすごく苦手です。お灸のにおいに晒されると、気分が悪くなったり吐き気をもよおしたりしてしまいます。お灸を燃焼した煙を直接吸い込まなくても、部屋に染み付いたにおいで気分が悪くなります。 - 健康上のリスクを懸念しているから
私はお灸が閉塞性肺疾患、昔でいうところの肺気腫の原因になると考えています。煙は小さな粒(微粒子)の集まりであり、タバコや排気ガスに限らず、これらの全てが閉塞性肺疾患の原因となり得ます。ですから当然、もぐさを燃やすお灸の煙も原因となるのです。我々鍼灸師やその患者はお灸をしたりされたりする限り、それ以外の者よりも余分に煙を吸っていることになるのですから、健康上のリスクが高い状態と考えることができます。特に施術者は、時に一日中お灸の煙の中にいることさえあります。身内に肺の機能低下で苦しんだ者がいますので、より危機感を抱いています。
施術者個人の好みで患者の選択肢を減らしてしまうのは最も避けたいことです。しかしお灸の場合、もぐさの燃焼による熱刺激の身体への伝わり方は電気のお灸で再現可能なので、効果の面では選択肢を減らすことに当らないと考えています。そのうえ、安全性の面では電気のお灸のほうが優れています。むしろ電気のお灸を積極的に使うべきであるとすら感じます。ただし例外として、棒灸の熱の伝わり方は電気のお灸で再現できないので、じねん堂でも、もぐさ以外の素材を燃焼させるなど若干の工夫をしながら棒灸を使用しています。また、患者が自宅でお灸を据える場合、電池式のペン灸器をお勧めしたいのですが、コストの面からもぐさを用いた台座灸を案内することが多いです。

このようなことを、それこそ20代のころから述べていますので、もぐさを燃やす種類のお灸を推している同業者から批判めいた言葉や、時にははっきりとした反対意見を頂くこともあります。特に東洋医学に傾倒していらっしゃる先生からは厳しい言葉もいただきます。
今回は、実際に頂戴した指摘の中からいくつかを紹介してみようかと思います。
【もぐさについて】
もぐさはヨモギの葉っぱを細かく砕いて作られます。
葉っぱの裏の白い毛(繊毛)だけになるまで精製されたものが最も高品質とされています。一般的に、施術者が指で小さく形を作って直接肌に置くタイプのお灸は、精製度の高い薄黄色の艾が使われ、棒灸には精製度の低い艾が使われています。精製度の低い艾には葉脈などが含まれ、上質なものと比べると繊維が粗く、硬く、色も茶色っぽくなっています。煙も多く出ると言われています。
もぐさのお灸実施者から実際に頂戴した意見

もぐさの煙は無害だ
何を指して無害とおっしゃるのか分かりかねますが、焚火によって生じる煙に含まれる微粒子がDNA損傷や炎症を引き起こすという報告があります。お灸からも煙が出ていますから微粒子を拡散させていることは間違いないです。微粒子を拡散させているということは……。言わずもがなです。



白い煙は無害だ
白くて無害な煙とは水蒸気のことでしょうか。それは煙とは違います。
タバコの煙も白いですが、無害でしょうか。
もぐさを捻るお灸をしていると指が黄色くなりますし、捻るお灸はもちろん、もぐさを燃やすお灸を使っていると施術室の壁紙やカーテンなどが徐々に黄ばんできます。カーテンレールや窓枠などがネバつくこともあります。エアコンのフィルターも真っ黒になります。いわゆるヤニが原因です。我々はこれを日々吸い込んいるのです。



お灸の煙程度なら気にしなくても良い
確かに、患者に関しては気にしなくても良いかもしれません。有害事象に関する報告にも、閉塞性肺疾患に関するものはありませんでした。とはいえ、肺の病は長時間かけて発症するものです。件の報告では、お灸の煙がリスクであると判断できるほど長期間の調査をしていない可能性もあります。
鍼灸の有害事象に関する報告では、灸による喘息発作が挙げられていました。野焼きと喘息との関係を調査した研究でも煙に含まれる成分による気道刺激について言及されていましたから、お灸の煙に気道を刺激する何らかの物質が含まれている可能性は考慮されてしかるべきでしょう。
一方で施術者の場合、患者よりもはるかに長時間、お灸の煙に暴露されることになります。こちらも肺疾患との因果関係を示唆するような報告はありませんが、個人的には、リスクとして気にしたほうが良いと考えています。温熱刺激に関しては電気のお灸でも十分に代用可能ですし、施術効果も望めるわけですから、もぐさを燃やさずに済む(微粒子を吸い込まずに済む)ならそれに越したことはありません。



もぐさには有効成分があるから電気のお灸なんかより効く
もぐさの有効成分で代表的なものにシネオールがあります。シネオールには抗菌作用のあることが知られていますが、この成分はユーカリオイルにも含まれています。もしそれが灸の熱で体に吸収されるというのであれば、ユーカリオイルを塗布した上から電気のお灸で温めれば良いです。
もっとも、お灸の成分が実際に皮膚から吸収されているかどうかは分かっていません。過去にもぐさの有効成分に関する研究論文を探したことがあるのですが、抽出成分や水製エキスを経口投与したものばかりで、経皮吸収について言及されたものを見つけることはできませんでした。
仮に経皮吸収されたとしても、シネオールの抗菌作用が腰痛や肩こり、そして身体を巡る「気」に対してどのように作用するのか。きっと、もぐさのお灸を熱烈に推す鍼灸師なら答えることができるのでしょうが、私には分かりかねます。
お灸の効果はあくまで温熱によるものだと私は考えています。



もぐさを燃やした時の温度が治療に理想的なのだ
もぐさを燃やした時に皮膚表面で感じる熱は、灸の大きさや形、あるいは手法によって変わります。じねん堂がよく使うのは温かいと感じる40度から、チクりと熱さを感じる60度前後まで。
電気のお灸は、もぐさを燃やすお灸の温度や熱の伝わり方を再現することが出来ます。つまり、電気のお灸はもぐさを燃焼するお灸と何ら変わらない温熱刺激を与えることができるということ。じねん堂で普段使う温度の範囲であればもぐさを燃やすからという優位性はありません。(棒灸のように非接触という条件を加えると、現在手に入る電気のお灸では再現が難しいです)



もぐさの香りにリラックス効果があるから、電気のお灸ではダメ
リラックス効果だけならもぐさである必要はないです。部屋にヒノキの製油を置けば良いのです。ラベンダーでもカモミールでもサンダルウッドでも構いません。
香りには好みがありますし、嗅覚の問題によってあらゆる香りを不快に感じる患者も存在します。私個人も前述のごとく、もぐさの香りは体調に異変をきたすほど苦手です。
熱刺激を与える手段と香りを与える手段とを切り離して考えれば解決する問題です。



上手くもぐさを捻ることができないから電気のお灸を使うのだろう。そんな奴は鍼灸師を名乗る資格がない。
多分うまく捻れなくなっていると思います。捻るお灸をしていないのですから、できなくなって当然です。
もぐさを小さく捻ったお灸(点灸)で施術をする鍼灸師は、その方法に鍼灸師としての矜持を見出しているようで、時に攻撃的な主張をぶつけてきます。代替手段があることを前提とするならば、もぐさを上手く捻る技術と施術効果とは関係がないのですが、「もぐさを捻ったお灸でないと施術効果を出すことができない」とでも信じていらっしゃるのか、ほぼ会話にならないです。あるいはその場では納得したような素振りを見せて、裏でぼろくそ言ってくれます。施術結果を客観的な指標で評価して、じねん堂のデータと比べたらはっきりするのに、その旨を進言しても聞く耳を持ってもらえなかった経験もあります。
それはそうと、視覚障碍のためにもぐさを捻るお灸ができない鍼灸師を何人も知っているのですが、この人は彼らを前にしても同じことを言うのでしょうか。
以上。当院でもぐさを燃やすことはありませんが、もぐさのお灸と同じ効果が望め、もぐさのお灸よりも安全性の高い電気のお灸による施術を提供しています。どうぞご利用ください。
【参考】
萱場 広之, 2 稲作地域における環境因子と気管支喘息 : 穀物粉塵と野焼きを中心に(化学物質過敏症の診断・治療と問題点), アレルギー. 2004;53(2-3):224p
※この記事は、2012年公開のものに加筆修正のうえ再公開したものです。当時参考にした文献の一部しか提示することができないことをお詫び申し上げます。