ある日突然、片方の耳が聞こえなくなる―。
原因不明のまま急激に聴力が低下する突発性難聴は、誰にでも起こりうる、非常な不安を伴う病気です。先進国では年間10万人に27人から60人が発症すると言われており、決して稀な病気ではありません。
治療法は存在するものの、回復の見込みは人それぞれで、予後が不透明なことが患者さんの大きな精神的負担となっています。しかし、2022年に発表されたある大規模な研究(Wuら)により、回復の可能性を予測する上で、これまであまり注目されてこなかった意外な要因がいくつか特定されました。
この記事では、この最新研究から得られた「突発性難聴の予後を左右する5つの重要な事実」と予測ツール(ノモグラム)について、分かりやすく解説していきます。
事実1:悪玉コレステロール(LDL)値が予後を左右する
この研究で最も画期的と言えるのは、予後予測因子として「コレステロール」を見出したことです。
具体的には、血液中の悪玉コレステロール(LDL)の値が高いこと(4.1 mmol/L以上≒159 mg/dL以上)が、予後不良の独立した予測因子であると示されたのです 。これは、一般的に聴力との関連を想起されにくい血液検査の数値が、回復の可能性を見極める上で重要な指標となりうることを意味しており、非常に重要な発見と思われます。
この発見は、脂質異常症(高コレステロール血症)の治療が、突発性難聴の回復を助ける可能性を示唆しており、今後の治療戦略に影響を与えるかもしれません。
事実2:めまいは単なる症状ではなかった
突発性難聴患者の多くは、耳鳴りやめまいといった随伴症状を経験します。中でも、「めまい」の有無は、単なる不快な症状にとどまらず、予後を占う上で極めて強力な独立予測因子であることが、この研究によって再確認されました。
研究データによると、回復しなかった「無効(Ineffective)」群の患者のうち55%がめまいを経験していたのに対し、何らかの改善が見られた「有効(Effective)」群では、その割合は23.9%にとどまりました。
さらに著者らは、多変量ロジスティック回帰分析という統計手法を用いて、年齢や治療開始までの時間、LDL値、難聴のタイプなど、他の因子の影響を同時に調整したうえで検証しました。その結果、めまいを伴う患者は、伴わない患者に比べて予後が不良となる可能性が約2.5倍高いことが独立して示されています。
つまり「めまい」は単なる症状ではなく、突発性難聴の重症度や回復の見込みを測るうえで重要なサインであり、患者さんと医療者が治療方針を立て、現実的な回復への期待値を設定する上で大きな意味を持つのです。
事実3:「高気圧酸素治療」に明確な効果は見られなかった
突発性難聴の治療の一つに「高気圧酸素治療(HBO)」があります。しかし、今回の323人を対象とした研究では、HBOは予後の改善に統計的に有意な影響を与えないという結果が示されました 。
有効性については従来から議論があり、この結果は「突発性難聴の原因が一つではない=多因子性」であることと関連していると考えられます。つまり、HBOは特定の病態を持つ一部の患者にしか有効でない可能性があり、全ての患者に一律で有効な治療法ではないことが示唆されています。
事実4:難聴の「タイプ」が予後を分ける
聴力低下の「重症度」だけでなく、どの周波数が聴こえにくいかという難聴のタイプが、予後を分ける重要な予測因子であることが分かりました。
研究では以下の4タイプに分類されています。
- 低音障害型(LFDT):低い音が聴こえにくい
- 高音障害型(HFDT):高い音が聴こえにくい
- 水平型(FDT):全域にわたって聞こえにくい
- 全ろう型(TDT):ほぼ全ての音が聞こえない
結果として、低音障害型の予後が最も良好で、高音障害型が最も不良、全ろう型もそれに次いで悪いことが示されました 。例えば「有効群」では18.7%が低音障害型だったのに対し、「無効群」ではわずか4.2%でした。この違いは、障害を受ける周波数ごとに内耳の損傷メカニズムが異なる可能性を示しています。
事実5:治療開始までの「時間」は想像以上に重要
最後に、最も重要な因子として「発症から治療開始までの時間」が挙げられます。
治療開始が2週間以上遅れた場合、予後不良となる確率は、2週間以内に開始した場合に比べて9倍以上高いことが示されました 。
この結果は「症状を感じたら直ちに専門医を受診することが、聴力を守る上で最も重要な行動である」と明確に示しています。
予後を可視化する「ノモグラム」とは?
ノモグラムは、5つの因子(年齢・めまいの有無・治療開始までの時間・LDL値・難聴のタイプ)を組み合わせて、「治療が無効である確率」 を数値として示す予測ツールです。
ここでいう「無効」とは、治療による聴力改善が15 dB未満だった場合を指します。ちなみに「有効」は、完全回復(正常耳または発病前のレベルに回復)、著明回復(30 dB以上の改善)や軽度回復(15〜30 dBの改善)を含みます。これらの尺度は、中国の診療ガイドラインに基づいています。なお、本研究全体では治療が有効と判定されたのは41.4%でした。有効となる確率は、「100%−無効の確率」として解釈できます。
無効かどうかを見分けられる精度
ノモグラムの精度は C-index=0.798 という指標で評価されています。
C-indexは「予測の順序の正確さ」を測る指標であり、単なる的中率とは異なります。つまり本ノモグラムの C-index=0.798とは、患者を2人並べたときに、どちらが無効になりやすいかを正しく見分けられる割合が約80%という意味を持ちます。これはあくまでノモグラム全体の識別精度を示すものであり、個々の患者の未来を8割当てられるわけではないことに注意が必要です。
つまりノモグラムは、「無効である58.6%の中に自分が入る確率は何%か」を、約80%の精度で予測するモデルです。 “%”が3つも出てきてややこしいですが、例えばノモグラムによって「無効の見込み=30%」と表示された場合、「似た条件の患者さん100人のうち30人前後が15 dB未満の改善にとどまる」という意味になります。
精度と“モデルの癖”
ノモグラムの較正(キャリブレーション)の検討では、予測値と実測値の間に“癖”とも言える特徴的な傾向が確認されました。
- 40%未満の領域
予測値と実際の差は大きくないが、少し低めに出ることがあり、やや楽観的に見積もられる傾向がある。 - 40〜80%の中間域
実際より高めに出やすく、悲観的に予測される。 - 80%超の高域
実際の値とほぼ一致するが、わずかに高めに出ることがあり、悲観寄りの予測になることもある。
このように、予測値とは大きく変わらないものの、「40%未満はやや楽観的、40%以上は悲観的(80%超は悲観寄り)の予測値が出る」という“モデルの癖”を理解しておくことで、ノモグラムの数値をより現実的に解釈できます。
限界
このノモグラムは 単施設の後ろ向き研究(過去のデータや記録をさかのぼって調査する研究手法)に基づいています。そのため、他の病院(治療内容や投与プロトコルが異なる可能性がある)や、他の地域・人種(中国・米国・日本などで患者背景が違う)にそのまま当てはめられるかは分かりません。
また、対象患者の構成や除外基準によっては予測精度が偏ってしまう可能性もあります。実際、Dongら(2024)は別の患者集団を用いて、年齢・治療開始までの時間・聴力型に加え、血清アルブミンや好中球/リンパ球比(NLR) といった炎症関連指標を組み込み、C-index=0.756というやや異なる精度のノモグラムを提示しています。
こうした違いからも分かるように、現段階のノモグラムは万能な未来予測ツールなどではなく、あくまで参考となる指標に過ぎません。最終的な治療方針は、患者の症状経過や生活背景を含め、主治医の臨床判断に委ねるべきと思われます。

さいごに
突発性難聴からの回復は、決して偶然や運だけで決まるものではありません。今回の研究からは、年齢やめまいの有無、LDLコレステロールの値、聴力のタイプ、治療開始までの時間といった具体的な要因が、回復の見込みを大きく左右することが分かりました。
こうした知見は「自分の状態をどう理解すればいいのか」という不安に対し、一つの道しるべを与えてくれます。ただし、数字やモデルはあくまで参考であり、最終的な治療方針は医師と患者が一緒に考えていくことが大切です。
予後を完全に予測することはできませんが、「早めに受診すること」「生活習慣を整えること」など、自分でできる行動は確かに存在します。そのようななかで最新の研究成果を知ることは、不安を少し和らげ、治療や日常生活に前向きに取り組むきっかけになるのではないでしょうか。本記事がその一助になれば幸いです。
【参考文献】
Wu H, Wan W, Jiang H, Xiong Y. Prognosis of Idiopathic Sudden Sensorineural Hearing Loss: The Nomogram Perspective. Ann Otol Rhinol Laryngol. 2023 Jan;132(1):5-12. doi: 10.1177/00034894221075114. Epub 2022 Jan 26. PMID: 35081764.
Dong A, Peng J, Lin R. Predictive Model for Prognosis of Sudden Sensorineural Hearing Loss by Nomogram. Ear Nose Throat J. 2025 Apr;104(4):244-253. doi: 10.1177/01455613241230823. Epub 2024 Feb 23. PMID: 38400530.

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