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慢性疼痛にも目標達成にも効く「祈り」の作法

 行動や価値観の規準となるのが宗教なら、きっと東洋医学も宗教の一種だと考える鍼灸師、西出隆彦です。

 さて、東洋医学の件はさておき、私には確固とした信仰がありません。しかし、宗教が我々の生活に大きな影響を及ぼしていることは全面的に認めています。宗教(の経典)を、生活や善悪判断の規範となるような “生き方のマニュアル” であると捉えているからです。
 想像してみてください。大昔の人間も、私たちと同じように精神的ストレスや腰痛・肩こりなどの慢性疼痛に見舞われていたとしたら……。
 インターネットも医療も今のように発達していなかった時代ですから、きっと “生き方のマニュアル” のなかに救いを求めるはずです。そして実際、生き方のマニュアルである経典のなかには、そういった“困りごと”に対処するための理にかなったヒントが書かれているのです。

 今回はキリスト教の聖書から、慢性疼痛の軽減や目標達成に効果的と思われる「祈りかた」について。洗礼を受けていない鍼灸師がお伝えします。

押さえておきたい祈りの作法8つ

 祈りには押さえておきたい8つの作法があります。

  • 神に祈る

     他の誰でもない、神に祈ります
     我々を創造し、すべての物事を見通すことのできる神だけが、願いを聞き入れてくれるのです。
     
  • イエスの名によって祈る

     最終的に願いを聞き入れてくれるのはオヤジ(神)ですが、私達のような下っ端が直談判なんてとんでもないので、アニキ(イエス)が間に入ってくれるわけです。
     
  • 神への感謝を忘れずに祈る

     この世のすべてを創りたもうた神、願いに耳を傾けてくださる神への感謝を忘れてはなりません。個人的には、美しいものを美しいと感じる心を授けてくれたことに、強く感謝したいところです。
     
  • 思い煩わずに祈る

     人間は不完全な存在です。知恵の無いものが独りクヨクヨ悩んでいたところで、好ましい答えが出るはずもありません。悩みすぎて欝々としてしまう前に、神に祈りましょう。
     
  • 心から誠実に祈る

     祈る時は本気です。マジです。特別な形式や呪文はありません。とにかく真面目に、心から祈りましょう。
     
  • 具体的に祈る

    「腰痛が無くなりますように」とか、「計画が成功しますように」とかいったような、漠然とした祈りではいけません。腰は痛くなくなっても全身がマヒしてしまうかもしれませんし(まさか神がそんな惨いことをするとも思えませんが)、計画は成功しても周りからの信頼を大きく損ねてしまうかもしれません。腰痛をなくすためにどんなことをして、腰痛がなくなった先には何をしたいのかとか、計画を成功させるために自分がどのような施策を講じて、それによって現状がどのように変化する見込みがあるのかとか。願いの成就に至る過程と、成就したらどうなるのか・どうしたいのかを、なるべく細かく具体的に祈りましょう。
     
  • 事あるごとに祈る

     今がどういう状態か、進捗状況と見通しとを神に報告し、そこからさらにどうしたいのか・どうなりたいのか、祈りましょう。
     報告(祈り)が頻繁であればあるほど、神の耳に留まりやすくなるはずです。
     
  • 神が望む生き方をする

     作法というよりも前提条件と言えます。
     神が快く祈りに耳を傾けてくれるような生き方ができているでしょうか。
    「自分の身体の辛さを分かってくれない上司に、同じ苦しみを味わわせよう」と祈っても、「腰痛の根本は骨盤の歪みだと断定的な物言いで騙して脅して集患して、高額な施術回数券を売りつけること」が成功するよう祈っても、公正で高潔な神が耳を傾けてくれるはずもないことは想像に易いです。
     正直で道徳的で“すべきことをする”という意思をもちながら、他人を思いやることも忘れない情け深くて善良な人間。つまり仁義を重んじる人間であることが必要です。

 これら8つの作法は全て聖書の中に書かれています。
 宗教というと荒唐無稽で怪しいものといったイメージを抱く人も多いかと存じますが、“すべきことをする”という意識を持って、思い煩わず、具体的に、事あるごとに祈ることは、物事を継続的に改善したり、認知や行動を変化させたりする手段として理にかなっているとは思いませんか?

祈りによって得られるもの

 8つの作法を踏まえて祈った結果、得られるものは何でしょう。
 実は単純に願いがかなうわけではありません。これも聖書に書いてあります。
 祈りによって得られるものは大きく3つあるとされています。
 それは、

  • 平穏な気持ち
  • 問題に立ち向かう力
  • 賢明な判断をするための知恵

であると考えられています。
 認知と行動が変わるのですから、当然といえば当然です。
 こうなると、祈りとは自分の力で人生を変える手段であるようにも思えてきます。しかもノーリスク・ハイリターン。心身に不調のあるかたなら珍妙な施術法や健康法を次々試して大枚をはたくよりも、施術者なら自己啓発本を読み漁ったり怪しげなセミナーに参加したりしてコンサルやらコーチやらの養分になるよりも、神に祈った方がずっと建設的で有益。少なくともじねん堂は、そう考えています。(信仰はありませんが……)


 じねん堂は祈りの作法について知った時、「おお。聖書すげぇ!」と心から驚きました。そして、人間の思考や行動は大昔からたいして変わっていないのだと、妙に納得したのです。だからこそ科学万能の現代においても信仰が生き残っているのだと感じました。
 ちなみに、この祈りの作法はキリスト教に限ったことではないようです。神社で祈願するときも大筋は同じで、住所と氏名にはじまり、願いとそれを叶えるために行うことをなるべく具体的に、祈願というよりも宣言のような形でお祈りするのだとか。
 京都嵐山の鈴虫寺は、大量の鈴虫を飼育していることともうひとつ、どんな願い事もひとつだけ叶えてくれるという幸福地蔵で有名です。この寺の住職は説法のなかで、「お願いするときは、まず住所と名前を念じてください。お地蔵さんがどこの誰の願いか分かりません。それから、なるべく具体的にお願いしてください。あまりに荒唐無稽なものは叶えようがありません」といった旨のことをおっしゃっていました。
 西洋の神でも日本の神でも、そして仏(菩薩)でも、あるいは墓や仏壇の前で先祖に助けを乞う時でさえも、祈りの根本は同じなのかもしれません。大きな存在が見守ってくれているという安心感や心強さが精神的な助けになることを否定するつもりはありませんが、結局のところ、願いは自分自身の力で叶えるものなのです。そこに至るための合理的で実践的な道具が、祈りと言えるのではないでしょうか。

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